龍馬が飲んだと言い伝えられる白滝の水
文久二年(1862年)三月二十四日、土佐の郷士・坂本龍馬は、風雲急を告げる時局を洞察し、自らの使命を自覚するや決然として、土佐脱藩を決意した。(龍馬誌より)
二十五日、高知県梼原村に泊まり、二十六日未明雲悔に浮び上る韮ヶ峠に立ち脱藩の第一歩を踏み出したのである。人通りの少ない時刻にここまで駆け降りこの清水でのどの渇きをうるおした。その時ふと脳裏によぎるものは、捨てた家族ふる里の事等、万感の思いが去来し胸中はいかばかりであったろう。
大志を前に、さまざまな思いを断ちきり、りん然と立つ龍馬の姿がそこにあった。再び韮ヶ峠へと維新の道はつづくのである。正に男の中の男、風雲児、快男子と呼ぶにふさわしい人物であった。
目的は変われども、この意気、度胸、信念を受け継ぎたい。以来、百二十年経た今でもこの水を男水と呼び地域内外で親しまれている。
この水の水源は向こう山の谷間にあり、四国山脈、カルスト高原から発した水を集め、石灰岩の地下洞穴と思われるところを通り、突然に噴出している男性的な清水である。現場立ち入りは、困難なためここまで引水したものである。
惣川自治振興会 惣川公民館
案内版より
文久二年(1862年)三月二十四日、土佐の郷士・坂本龍馬は、風雲急を告げる時局を洞察し、自らの使命を自覚するや決然として、土佐脱藩を決意した。(龍馬誌より)
二十五日、高知県梼原村に泊まり、二十六日未明雲悔に浮び上る韮ヶ峠に立ち脱藩の第一歩を踏み出したのである。人通りの少ない時刻にここまで駆け降りこの清水でのどの渇きをうるおした。その時ふと脳裏によぎるものは、捨てた家族ふる里の事等、万感の思いが去来し胸中はいかばかりであったろう。
大志を前に、さまざまな思いを断ちきり、りん然と立つ龍馬の姿がそこにあった。再び韮ヶ峠へと維新の道はつづくのである。正に男の中の男、風雲児、快男子と呼ぶにふさわしい人物であった。
目的は変われども、この意気、度胸、信念を受け継ぎたい。以来、百二十年経た今でもこの水を男水と呼び地域内外で親しまれている。
この水の水源は向こう山の谷間にあり、四国山脈、カルスト高原から発した水を集め、石灰岩の地下洞穴と思われるところを通り、突然に噴出している男性的な清水である。現場立ち入りは、困難なためここまで引水したものである。
惣川自治振興会 惣川公民館
案内版より
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